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メモに書いてあったやつを供養する


みんなが言わないなら私が言おうと思った。


「あなたの言葉では誰も傷つかないし何も変わらないから安心して」って言われたけれど私はみんなの言葉で傷ついて眠れなくなったりする。

もっと言えば自律神経を乱して無排卵月経症を起こし生理がこなくなりPMSは悪化し肌は思春期の子供みたいに荒れて極端なドライアイになり視界は安定せず耳鳴りは増し胸骨の辺りの神経痛が増しいつも飲んでいるはずの薬の副作用に過敏に反応し一日の殆どを横になっていないと辛いほど私の身体はボロボロになる。アホらしいと思うが私が一生懸命気を紛らわそうとしても身体は正直に抵抗してくる。私の身体は理性や思い込みでは歯止めが効かない。だからできることなら人間関係もスムーズかつ良好に、自分に害のない空間作りをしていかなければならない。

あえて自虐することで「そんなことないよあなたは素晴らしい人間だよ」って言ってもらって可哀想な自分に酔いたいんでしょって言われたらゼロじゃないんだろうけどそれでも私は今ここに居ていいのか聞きたいし肯定されたくない人間ってそもそもいないじゃんってことに気がついた。
ゲーテとかアドラーは「なるべくしてなっている」みたいなよくそんな感じのことを言う。あの人に嫌われているのはそもそもあなたが嫌っていてその状況を自分で作り上げてるっていう心理学の話。その通りだと実感するし現に私は私が一番嫌いなので私の中に踏み込んできた私に関心の高い人間からは最終的に嫌われることに成り立っている。当たってる。私は可哀想な私を作っている。じゃあそんな風にしか生きれない私はやっぱり痛々しくて子供じみていていつまでも成長のしない後退したままの自分に酔って悦に浸ってるのか。はたから見た私はそうだ。だから私は私が嫌い。好きになれない。そんな大嫌いな私が私の大好きな人達の近くにいて、自分の嫌いな人が自分の大好きな人達の近くに居るんだよ、「これでいいの?大丈夫?無理してない??」って聞いたらおかしいのかな。

いつだったかカウンセリングに抵抗を感じなくなってきた頃A4くらいの紙を渡されて「ここにリンゴの木を書いて」と言われた。しばらく固まって、考えて、私は紙の真ん中に小さく木を書いて均等に3つバランスよく実がついたリンゴを書いた。それが一番記憶に古い露骨に「測られた」と実感したこと。カウンセリングの帰り廊下で母親に私はわざと紙の真ん中に小さく木を書いて均等に3つバランスよく実がついたリンゴを書いたと言った。たぶん自己評価とかの強さか何かを測るんだと思う、とも付け足して。母親はなぜかそれをいつまでも覚えていて、私もそれが忘れられない。なぜそれが一番ショックだったのか。事前に私が「絵を書くのが好き」と打ち明けたら「じゃあ私にも絵を描いて欲しいの」と言われて紙を渡されたからだ。カウンセラーは私の絵が見たかったんじゃない、私の特技で好きなことが見たかったんじゃない、私のだいたいの測定値が見たかったのだ。私は「みんなと同じ」になりたい訳だけどそれから他人に私を測られるのが大嫌いになった。

どんな音楽を聞くの?と聞かれるととてつもなく困る。
オペラもクラシックもロックもポップスもラップもダンスミュージックもEDMもアイドルも歌謡曲もイギリス民謡もメジャーもインディーズも洋楽も邦楽もアニソンも映画のサントラも全部聞く。全部が好きだ。なぜならその中でも好きなものしか聞かないから。その曲についてはいくらでも好きなところを話せるけれどその曲が属する音楽ジャンル自体を語りたいとはあまり思ったことがない。例えばロックの神様とかについて大物歌手が対談している番組は意味があるのかなとか思ってしまう。あちこち知っていて、あちこちが好き。目移りが激しいだけかもしれないし飽きっぽいだけだとも思うけれどそのジャンルにカテゴリーについて他人の意見はあまり要らないしそれにかける自分の時間も要らない。好き、だからきいてる。追求はあまりしたことがない。音楽以外にも同じで私はそこそこ普通の人よりも手先が器用だ。工芸手芸裁縫料理家事子守り犬猫の世話やらがそこそこできてしまう。最も好きだからというのもあるし決して上手いというものでもないのだけれど、できるものの種類が多くなると私は「なんでもできる子」に近づいていく。

「なんでもできる子」は手先が器用だ、そして日常会話もそつなくこなして人の応対への姿勢も丁寧。そこで何よりも大事なのは何よりも勉強ができるという要素。私はその勉強ができるという要素がとてもひもじく、できれば一生触らずに通って生きたい。勉強に必要なのは忍耐力と向上心、努力、そして自ら向かい合う姿勢。自分自身の感情にも向き合えず好きな音楽はバラバラで統一性が無く特に一つのことに常に熱くこだわり続けるなんてできない私が一番苦痛で仕方がないことがこの勉強。一番大事なことができていない人間が自分自身に強い自信を持って「他人に流されないように生きていこう!」だなんてできる術があるなら見せて欲しい。「なんでもできる子」として見られた私は自らボロを高々と掲げなくとも勝手に勘違いされて勝手に測られて勝手に手離される。ボロは初めから他人に見えるところにあるしボロの説明は何度も繰り返していても。

私は私だけの人生だし私だけのものだから私としてしか生きられないが私の人生は相当厳しいので「みんなと同じ」になりたいのだ。そうすればみんなと同じで傷つかないし夜も眠れるし期待を込めた視線を集めることも極端にがっかりされることもなくとても簡単な生きれるだろう。だから「みんなと同じ」になりたい。