最後の最後に抱きしめてほしいとお願いしたけれど私自身そういった経験がほぼないので「木の幹に腕回るか試してる人」みたいにとても拙くて恥ずかしいなあと思った

 

潰れそうになるくらいとはああいう力なんだろうなと思うくらい優しさでめいっぱい包んでくれた

 

たばこと整髪料で匂うだろう頭を撫でて頬をピッタリとくっつけてくれた

 

「できることなら先生も私も80歳のおじいちゃんおばあちゃんになるまでずっと見守っていたかった、元気なままそろそろ歳よねなんて言いながらゆっくりお別れしたかったのよ」

 

今生の別れではないけれどこの空間の時間はここで終わりなんだと思ったら涙も鼻水も止まらなかった

 

いつも思うやっぱり人が死ぬとき当事者ではなくても何かが終わって何かが始まる

 

今は何かが終わったところ

 

最終日は私しか居なくてヒーリングミュージックの流れる中、本当にここが無くなってしまうことを理解しながらもどこか他人事みたいで

 

ヤダヤダと泣いた時期が過ぎたからかもしれないけれど

 

画集、茶筅、色んな思い出を受け取って午後6時にあの部屋の照明は消えた

 

人間は忘れてしまう生き物だし私自身特に記憶が長く続かないのだけれどこの悲しさも寂しさも温かさも愛おしさも何一つ取りこぼさず立っていられればいいなと思う

 

大好きです